おじいちゃんの呪い

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しまくらちよこ。

みなさま、いかがおすごしですか?

私の祖父はことあるごとに「みんなと仲良くしなさい」という。それは私が幼少のころから変わらない。30年経った今でもだ。

それが呪いではないかと疑うまでの間、私は”みんなと仲良くしないといけないのだ”と思うあまり、雰囲気を乱すまいと、自分の意見を封じ込め、周りに同意する振りをして同調していた。
自分のことを理解してくれる人はどこにもいないのだと思い込んでいた。自分の意見を主張しないのだから理解してもらえないのは当然だ。

20代も後半だった、自分が疲弊し切っていることに気付いたのは。おかしいと思いながらも、同調する毎日。

みんなと仲良くすることがこんなに疲れることなのか、
一方で自分の好き勝手に言ったり、
やらかす人もいるではないか、
その違いはなんなのか。
考えすぎて、おじいちゃんの呪いだ、という極端な結論にまで至ったこともあった。
今思うと酷い被害者意識だ。

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仲良くするってなんだろう。
疲弊しきっていた頃の私はその意味をよく考えもせずに、
仲良くすることとは、敵を作らず、和を乱さないことだと解釈していた。
仲良くなんて自分が苦しい思いをしてまでするものなのだろうか。

おそらくおじいちゃんが言いたいのは、”和を以って貴しとなす”、であり、
ここで言う”和”、というのは、迎合を意味するのではない。
ん十年かけてやっと、身をもって学んだように思う。

価値観など人の数だけあるものではないか。多様な価値観の中で、互いの考えを理解し、赦しあい、歩み寄ればいいではないのか。
自身の価値観を我慢して押し込める必要などない。

人間関係というものは、健全な自分でいる上に成り立つからこそ、健全な関係になるのだ。

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