努力不要論を読んだわよ。

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昔の話だけどね、なんかこう、頑張ってる自慢、苦労自慢っていうのかな、する人がいたんだよね。聞かされているこっちとしては、へー大変だね、ってまぁ思うけど、聞いているうちに、うーん、これって私にもあんたと同じように苦労しろって言ってる??って思えてきたことがあった。
そんなことをね、この努力不要論を読んでね、思い出して、私が感じた違和感って別に普通だったのかも、って思ったわけ。
 
努力にも適切な努力、と無駄な努力があって、苦労自慢している場合は大抵無駄な努力なのかなってことですよね。
 
自分がどうなりたいのか(目的)、そのためには自分の資質、リソースでどう達成していくのか(戦略)、そして戦略を”楽しく”実行していく。正しい努力の定義をこのタイミングで学べて良かった!!
 
どうしていつもうまくいかないんだろう・・・目標を達成するためにはあれもこれもそれも・・・こんな風にもがいてもがいて苦しい人には是非読んでもらいたい一冊です!
 
以下、自分のためのメモ(長いよ)。
 
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この本の中で言っている”努力”の定義は、
 
成果を出すために必要な①目的を設定する、②戦略を立てる、③実行する、という3段階のプロセスを踏むことです。
 
本書は、いかに闇雲な努力が無駄であるか、人間を損なっていくか、が”脳が持つ性質”の観点から書いてあります。非常に説得力があって、するすると理解できます。
 
闇雲な努力が人間を損なう、と書きましたが、これは読んでいて一番驚いた箇所です。
こうあります。
 
「自分はこれだけ正しいことをしたんだから、許される」という言い訳を、なんと無意識のうちに脳がやってしまっているのです。
 
そして倫理的に悪いことをする傾向が高いという研究結果まであるんだそうです・・・。我慢の限界を超えると、我慢しなければならないことでも我慢できずにハメを外してしまうんだそうですよ・・・。努力しているという感覚が、自分がすごい人間になったような錯覚を起こさせる、ともありました。そして、努力すると洗脳されやすくもなるんだとか。こうあります。
 
努力という言葉は人を縛り、無料、あるいは安価な労働力として使いたい人が用いるブラックなレトリックなのです。
 
洗脳されたくないのであれば、睡眠をしっかりとり、しっかり食べて、ストレスはためないこと、以上!
 
そして、これだ!と思ったのがこれ↓。始めにお話した、苦労自慢の人は多分これに該当するんだと思う。
 
自分を痛めつけることを努力だと思っているのが日本人という傾向はあるようです。
 
闇雲に努力していると、報われないことの方が多いでしょう。戦略がないのですから、そうでしょう。そして、頑張ってるのに報われない・・・とあわよくば社会のせいにしてしまうのではないでしょうか。特に格差社会のせいだ、と言う人たちに対して著者は次のようにおっしゃっています。
 
格差社会だ、ワーキングプアだと騒いでいる人たち、あるいは当人は、実際に貧困だというよりも、発想力が貧困なのではないでしょうか。
 
もっと知恵をお使いなさい、ということですね。はい、すみません。そしてもう一発止めをさしてくる著者。
 
格差のせいにしたい気持ちはわかりますが、格差のせいにしたら終わりです。

 

あべし!

 

努力家のみなさんは、コツコツ頑張っているだけなら他人に害はなさそうなのですが、時に他人の足を引っ張ることがあるんだそうです。特に勤勉、誠実な人ほど、「こんなに頑張ってるのになんで報われないの」と不条理を感じやすいためなんだそうです。

 

もともとの能力が低く、しかし努力に努力を重ねてのし上がってきた、という人は、他人の才能を見抜いて潰しにかかってくる傾向が強いと思われます。

 

こわいですね。潰されたくないですね。潰されないためには、相手に弱点を見せるとよいようですよ。

 

アンダードッグ効果と言いますが、道場の余地のある何かを提示することで、相手は溜飲を下げて応援してくれるようになります。ただし、見せた弱みを広められてしまうリスクもあるので、広まっても差し支えない話題を慎重に選ぶ必要はあります。

 

嫉妬を買わないように生きていきましょう、ということですね、はい、よくわかります。↑が書いてある章では、この後、嫉妬の感情が日本の少子化の原因なのでは、と著者の考えが展開されています。非常に興味深かったです。

 

子供を持つことがまるで「ぜいたく」であるかのように言われ、赤ちゃんや妊婦やお母さんたちが「役に立たないもの」とされて、「役に立たないものは食うべからず!」と、そうした存在を排除する社会であることが原因なのではないでしょうか。

母親の持つ幸せそうなイメージからなのか、「自己責任」で「望みどおり」の人生を送っているやつらにどうしてオレたち・私たちが譲ってやらなくてはならないのか、という不満が鬱積していて、それが「舌打ち」に代表される行動を裏打ちしているのです。

子供を持たない人々が、子供を持つ人々のことを「勝ち組」と思い、自分たちのことを「負け組」と感じている限り、これは続きます。

 

実は著者は本書で能力には遺伝的な差があるから、努力しても努力してもかなわないシーンはある、というようなことを言っています。ウサインボルトの例を出していましたけれどね。それでも人には誰にでも才能がある、と一筋の光を最後に与えてくださっております。

 

才能があるかないかというのは、自分が持っている適性知って、自分の評価軸を確立できているかどうかということに尽きます。その意味では、才能のない人というのはこの世に存在しません。ただ、自分に何ができるのかがわかっているかいないかの差だけがあるのです。
 
以下、引用メモのみ。
もしも、自分いは才能がないと思ったら、自分を取り巻く環境と自分の持っている資質のどこが適合しないのか、考える機会を与えられたと思ってください。
 
意志力の強い人と弱い人の差というのは、「ヒトという生き物はそもそも意志が弱い」ということを知っているか知らないかという差です。
 
自制心を鍛えるためのトレーニング、相手の気持ちを忖度できる力を伸ばすための遊び、目先の利益を捨てて将来のより大きな利益を選択できる力を鍛える練習などが子供の一生を豊かなものにする教育といえるでしょう。将棋や囲碁などは適している遊びだと思います。
 
 人間は死の間際になると自分の人生を振り返って後悔を口にするのだそうです。「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった」「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
 
 いつか成功できる、などというのはくだらない幻想です。この本を読んでくださったみなさんが、努力信仰に惑わされず、目の間にある毎日を豊かに味わって行かれることを心から祈念しつつー。