多分、このエントリーはSNSによるシェアはしないだろう。
なぜって、書くことが本当にない。
つまり、偶然にこれを見てくださっているか、
あれ今日は更新のシェアがない?と直接ブログに確かめに来てくださったか、
そういう素晴しいかけがえのない方の目に触れるエントリーということか。
にもかかわらず、
残念なことしかおそらく書けない。
書くことがないのだ。
これはどういうことか。
書きたいことがないのか、
書くべきことがないのか、
後者である。
では、書くべきではないことはどういうことなのか。
極めて主観的で
読む人の興味をそそらないと思われる事柄である。
例えば
80年代のジャパニーズポップスの素晴らしさや
松本潤の素晴らしさ、
aikoのしたためる楽曲の素晴らしさや、
私の周りには素晴らしい人しかいないという揺るぎない真実。
主観を書かずして
ではブログには何を書くのか。
…
主観しかないのである。
話は飛ぶが
人と人の出会いは実に不思議である。
どんな出会いも自分に必要なイベントである。
好きだなぁ、
もっと知りたいなぁ、
だきしめたいなぁ、
だかれたいなぁ、
きらいだなぁ、
しねばいいのになぁ、
色々な出会いがあるが
すべて今の自分に必要なダンジョンである。
男女問わない
ダンジョンである。
これはダジャレである。
何をいいたいのだ、私は。
感謝である。
私と出会って時を共にしてくれる皆への感謝である。
生きることは辛いことだが、
そこでの出会いにはありがたみしかないのである。
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