フランスが合計特殊出生率を過去10年の間2.0前後を保持している(日本は2015年は1.46。2016年のは多分5月ごろに発表されるのでは)と聞いて、何が日本と違うんだべ、と思って読んでみました。
本書ではその出生率維持の秘密を大きく分けて、以下の観点から解いています。
- 男性の育児参加率の高さ
- 出産のし易さ(費用や母体の負担など)
- 0-2歳の保育手段の多様性
- 3歳からは全員就学
特に印象的だったのは、やはり保育手段の多様性の部分。
昨今の日本における保育園不足、私も3歳、0歳の子どもを持ち、保育園を必要とする当事者であるため、フランスではどう対応しているのか興味深かった。
0-2歳の保育園入園は、私の住んでいるところでも激戦で、3歳以降は幼稚園といった選択肢も増え、なんとなく保育園への入りにくさは軽減する印象です。そこはフランスも同じ、いやむしろ保育園の絶対数は日本よりも少ないくらいで、保育園に入れるのは極少数派。
保育園の少なさを大きく補っているのが、”母親アシスタント”であるらしい。(他にも個人シッターなどありますが。)
その起源は古くは乳母まで遡り、1977年には子守の認可制度が始まり、この母親アシスタントという正式な職業となったそうであります。保育料は、保育園は月に6万弱かかるところ、母親アシスタントだと、11万弱だそうなんです。
著者は、フランスの保育事情は日本のそれとは根本的に考え方が違うけれど、そこで諦めるのは勿体なくて、発想の転換をすることが物事を変える一歩だと言っており、日本においては保育ママ(自宅で1人の保育ママにつき3人の子どもをみる超小規模保育)を保育手段としてもう少し選択しやすくしてはどうか、と言っています。
保育ママって、完全な個人事業主で、所得が不安定であること、社会保障の条件が厳しいことを理由に、なり手が非常に少ないんだそうです。これは私知らなかった。
保育園を増やすとなると、場所の問題(子どもの声を騒音とし、それを理由に建設反対なんてよくある話デス、悲しい。)があって、なかなか増やすことができない現状をみると、ここら辺の待遇を変えて、潜在保育士が保育ママになりやすくした方が話が早いような気がしませんか?しますよね!
ただ、フランスにおける母親アシスタントも、色々と問題はあるようです。移民女性による母親アシスタントの数が多く、そしてあまり印象がよくないらしい。子守と称して公園に行くも他の母親アシスタントとずーーーーっとおしゃべりしている、とか、ベッドに赤ちゃん放り投げるとか…。この問題については、利用者が注意深く選考する必要もあり、また、過去の実績の共有なども整備すると良いのではないでしょうか。そうすれば日本における保育ママが保育手段としてメジャーになっても乗り越えられそうですね。
保育手段の多様性の他にも、まージャパンとはかなり異なるわね〜という部分が散見されましたよ。
たとえば、
無痛分娩はもはや普通である、とか、
妊婦や子ども連れは、心の中ではどう思われているかは不明だけれど、公共の場では優先的に扱われる、とか、
保育園利用時の親の負担は少ない(おむつに記名する必要がない、おむつは園で処分してくれる、保護者会は参加したい人だけ、連絡帳がない…など)とか、
子どもは社会に必要な存在だと思われているとか。
ちょっと羨ましいなって思っちゃったりしてね。
ただ、簡単に羨ましいとは言えない、フランスの保育、教育の現場で戦う人々の強い信念と諦めない姿勢に、私も当事者として声を上げていく必要があるのだなと身の引き締まる思いでおります。
保育園ってところは、数年我慢すれば当事者ではなくなってしまうわけで、喉元過ぎれば熱さ忘れる、じゃ多分少子化は改善していかない。後人のためにもきっと今声を上げていかなくてはならぬのだろうな。
最後に、本書で私が、脇に汗をかくくらいには感動した一節を。出版社勤務の男性が語ったセリフです。個人の違いを尊重する考え方に拍手!
子育ての当事者でない人たちには、今の子持ちは優遇されていいねという気持ちは当然あると、僕の職場でも感じます。でも口や態度に出すことはない。それは大人として恥ずかしいことなんです。子供は社会に必要な存在ですから。(中略)彼女自身(不妊で悩んでいる同僚の女性のこと)『子供がいる人はいいわよね!』『子供のいない人に配慮できないのかしら』とストレートな言い方をしますが、独り言のように呟くだけで、個人攻撃はしません。お互いの事情を尊重し合うのは、子供がいようがいまいが関係ない、大人のルールなんです。
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