子持ちの正社員への転職はもう無理なのかもしれない 2019年の悪夢まとめ

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2018年末から続く転職活動にまつわる悪夢と、うまくいかない人生について、この2019年の終わりに綴っておこう。

子持ちの正社員への転職はもはや無理なのではないかと、人生もう終わりではないかとネガティブ沼から抜け出せないまま新しい年を迎えそうである。

こいつ馬鹿だな、要領悪いなと笑いながら読んでいただき、願わくば反面教師にしていただきたい。

教訓は、

子どもを産む前に正社員になるべきである。

子どもが小さい時期に保育園に預けられたのであれば、おそらく小学低学年くらいまでは頑張ってその会社で正社員を続けるべきである。

転職はその後。

ということになるだろうか。知らんけど。

あとは、誰かのサポートをするような仕事はこれからの時代、絶対に避けたほうがいい、と思う。知らんけど。

あとは…こんなこと言いたくないけど、どんな時間に家に帰っても誰も困らなかったり、無制限に残業できるのであれば、簡単に転職は出来るんだろうな、という印象は否めないので、つまり…そういうことです。

 

私の人生もこんな風にキラキラさせたかった

転職失敗

2018年の10月、大好きだった会社を辞めて(非正規雇用だったけど)1)、転職した。

そろそろ市場的に正社員として転職できない年齢に差し掛かっていたため、焦っていた。2)

100社近く応募し、やっと出た内定だった。活動中に、役員面接で、子どもがいることを伝えると突然面接を終了されたり、残業は月20時間、と近くにじじばばがいない私には難しい案件ばかりだった中、勤務時間もギリギリ耐えられそうな条件だったし、それまでの苦戦に疲れていたこともあり、散々迷ったがこんなチャンスはもう二度とないと思い入社した。そして、失敗だったと悟るのにそう時間はかからなかった。3)

次第に原因不明の下痢にも悩まされるようになり、相当なストレスになっていた。

毎日苦痛で、会社に向かう道すがら、星野源氏の『恋』を聴いて、自分を奮い立たせていた。おかげで、この曲を聴くと、下痢をしてしまう、というのは嘘だ。嫌な感情が込み上がる。4)

なぜあの会社に入ってしまったのか?ネームバリューだけで決めたようなものだった。低学歴で、長年非正規で勤めてきたから、ここで職歴に箔をつけたかった。簡単に言うと、見栄だ。

ここであの会社のことをどうこういうつもりはないので、割愛するが、おそらく沈みゆくタイタニック号の一種ではないかと思う。

退職、再び非正規。非正規は現代の奴隷。

そのあと3ヶ月で退職。

再びの転職活動中に、”3ヶ月で前職を辞めているので、職歴ロンダリングが必要だ”5)と人材紹介会社に言われ、そんなもんかとまた非正規雇用に戻ってしまった。楽な方に流れてしまったことを悔やんでいる。

そこで出会ったポジションに就いて、早10ヶ月となる。良いところは勤務時間とイケメンがいるところ、以上。

あれは9月の終わりだった。君を雇う予算がおりない、申し訳ない、と、契約終了の3週間前に言われた。非正規雇用のデメリットを全身に浴びた。1ヶ月前までに告知するのが義務だけどな!!!!普通な!!!!!

早く次を見つけないと、子どもも保育園を追い出されてしまう。6)焦った。

残りの有給を消化しつつ転活だ!と有給休暇7)の申請をしたら、引き継ぎもしてないのに節操がない、と言われた。悔しかった。もっとこの点については、異論反論オブジェクションを連ねたいが、一応まだ勤めている会社だし、控えよう。この日から私の心は閉じてしまった。もう何があっても絶対に開かれないと思う。信頼関係というのは、築くのは難しいが、崩れるのは一瞬だ。

そして、非正規雇用は現代の奴隷制度だとつくづく思う。一度奴隷になるともうそこからはなかなか抜け出せないのだな、としみじみ感じる。

嵐のライブビューイング行った時の写真

やっと報われる!

で、再びの転職活動を始めた。

めちゃくちゃ入りたい会社が見つかった。今までの経験も活かせて、さらに新しいことを吸収しながら更に成長できそうな環境だったし、同じように子育て中のお母さんも活躍しているポジションで子育てとの両立に心強い環境だった。

書類選考もパス、一次面接もパスした。二次面接もどうやらパスしたようで、レファレンスチェックが開始された。このブログを書いていることが見つかり8)、閉鎖するよう言われた。ブログからの収入は、ほとんどないに等しいのに、広告が”副業に当たるから”だそうだ。たとえそれで生計が立てられなくても、1円でも収入があるとそれは副業の扱いなんでしょうね。ブログを閉じたら、オファーの手続きを進める、とエージェントに言われた。それが11/8のことだった。ブログを早々に閉じた。9)

ワクワクしながらオファーレターを待っていた。これまでやってきたことがやっと報われるのだ…。やっと正社員に返り咲ける…よかった…!生きててよかった!そう思っていた。

1週間経っても、2週間経っても、レターは届かなかった。エージェントに聞くと、あまりせっつくと良い結果にならない、ということで、辛抱強く待った。

いよいよ1ヶ月経とうと言う時に、さすがにエージェントに確認してもらった。

二兎追うものは一兎も得ず

不採用だった。

わけがわからなかった。

“総合的に判断して”不採用となった、と伝えられた。10)

結局、後々エージェントの話をかい摘み、情報を整理すると、エージェントのコミュニケーションミスが招いた結果だった、そもそもオファーなど出ていなかったのだ、と私は思っている。

エージェントとその会社の人事の人は付き合いが長いらしく、その2人の間で交わされた不確かな推測の域を出ない会話、”この流れだと私にオファーが出るだろう”、といったことを正式にオファーがでてもいないのに、”オファーを出すそうです”、と私に伝えてくれちゃったエージェントの凡ミスが招いたようだった。

それに翻弄されてしまった私のなんと愚かなこと。

それにしても、だ。人の人生を何だと思っているのだろう。こちらから催促をしないと、このまま無言を貫くつもりだったのだろうか。不採用、とも採用とも言わずに、永遠に宙ぶらりんを決め込むところだったのだろうか。ブログのアクセス数は落ちる、ストレスで体重は増える、精神的な不安定さは子どもたちにダイレクトに行ってしまった。

実は10月の終わりに3社から内定をもらっていた。第2希望、第3希望、第4希望の会社だった。11)

第1希望の会社から正式なオファーも出ていないのに、エージェントに”オファーが出ます”、と言われて、信じてしまった。どこまでも浅はかな女だ。内定をもらった3社も、私が断るなら次の候補者へ声掛けをしなければならないし、いつまでも待ってもらうわけにもいかず、断ってしまった。今思えば馬鹿で愚かな私である。どうぞ笑うがいい。初笑いにもってこいだろ?ちなみに、これを書いている私の目には塩分を含んだ水が溜まっている。

私は大きなチャンスを逃したのだ、と思っている。チャンスの前髪をつかみきれなかった、のだ。はたまた、二兎追うものは一兎も得ず、というべきか。

私の人生の満開はもうないのだろうか

自分のこれまでを全否定

そのあと、失意のどん底に落ちてしまった。不採用と聞いた後、仕事中も涙が止まらなかった。下を向いても向かなくても、デスクに涙が落ちた。

帰りの電車でも、ひたすらに上を向き、涙が溢れ落ちるのを耐えた。がしかし、とめどなく溢れてきた。変な女だと思われていたかもしれないが、世間はそんなに他人を見ていない。

この後子どもを保育園に迎えに行かねばならないが、ママ友にこんな姿は見られたくなかった。杞憂だった。マスクと夜の闇がしっかり隠してくれた。

その夜、子どもたちがいるのに、涙をこらえきれなかった。”ママは入りたかった会社に入れなかったのだ”、と伝えた。子どもたちは優しかった。12)

その週末は、布団から出られなかった。家事も育児も放り投げ、ただひたすらに落ち込んでいた。13)

いったい私の何がいけなかったのだろう。

顔か?

痩せてないからか?

年齢か?

低学歴だからか?

非正規雇用の期間が長かったからか?14)

理想が高すぎるのか?

呪われているのか?

2018年の転職に失敗した時、何が何でも耐えるべきだったのか?

新卒で入った会社で、システムの開発や運用から足を洗わなければよかったのだろう、おそらくは。

生まれた時代がよくなかったのか?

新卒の就活をもっと頑張ればよかった?

大学受験をもっと頑張ればよかった?

あの高校に入らなければ良かった?

中学受験に失敗したのが良くなかった????

来年から子どもが小学生になるのに…また一から転職活動か…そんなの無理だ。もう無理だ!

生まれて来なければ良かったのではないか。

自分の人生を全力で否定していた。

散々落ちこんだ末に

週末が開けて月曜、会社に向かった。仕事をしていると不思議と気が晴れた。週末寝込んだだけで、なんとなく平常運転している自分が不思議だった。

なんだ、割と図太い方なのか。

再び細々と転職活動を始めたが、不採用になった会社ほど条件がよく、子育てと両立できそうな会社はもうなかった。

書類選考の通りも悪くなった。

面接にも行くチャンスが1つだけあったが、相手の人事は半ば居眠りしてくるし、オフィスは綺麗だったけど、女性の割合が8%しかないその会社に不採用を言い渡され、再び私の心は荒み出す。まぁ多分私には合わない会社だっただろう。

あの内定が3社も出ていた奇跡のような日々はもうこないのだと、大きく機会を損失してしまったのだと、なんとも言えない気分になる。

年が明ければ、オリンピックに向かって景気は悪くなり、ますます採用しぶりを始めるから、転職するなら2019年中だよ、と言われることもあり、ますます気分は落ち込む。

今でもふと思う。あの第1希望だった会社が、”やっぱりうちにおいで、と言ってきてくれるのではないか…と。

何かに似ていないか?そう、だめんずウォーカーのメンタルではないか。

どこまでも馬鹿な自分に嫌気がさす。

散々落ち込み、悩んだ挙句、私は何となく次のようなことを考えるようになった。

  • 会社員になることを目的とすることはナンセンスではないのか
  • 自分の人生で最も優先したいのは、自分のキャリアではなく、家族ではないか。
  • それでも仕事は収入源としてする必要がある。だがもう正社員云々ではなく、自宅の近くでなんでもいいから探す方向に定めるべきではないか。
  • 根底にある諸悪の根源は”人にすごいと言われる自分になりたい”という他人軸で生きるこの私の歪んだ心ではないか。

もう1つの衝撃的な事実

そしてもう1つ語るべき衝撃の事実がある。2018年10月の転職失敗から体重がなんと6kgも増えた。精神的な不安とストレスからの爆食いにより、1年と2ヶ月でこんなに肥えてしまった。

増えた体重は、新しい恋でもしないと減らないことを私はよく知っている。

そして今も増え続けている。毎日毎日ストレスと不安で食べずにいられないのだ。

この時代なら私は魅力的だったのだろう

本当はまだ立ち直れていない

最悪な1年だったなぁ。来年も続くのかな。ぶっちゃけもう立ち直る気力も体力もない。

このまま私は終わっていくのだろうか。

それでいいの?と自問するが、どうしたって前向きな思いは湧かない。

毎秒毎秒湧いてくるのは、悪態のみ。荒みきってしまった私の心。

しばらくこんな状態が続くんじゃないかな、と。

自分の感じることを否定せずに向き合ってあげるのも、いいかなって。

とりあえず、カラオケ行きたいかな、今は。

References   [ + ]

1.6年勤めた。スーパーホワイト企業だった。
2.とはいえ、就職氷河期世代であり、企業に最も少ない年代なので、求められている世代のような気がしないでもないが、なかなか採用されないので、多分使えない人材なのだろう。
3.暇すぎた。
4.これがトラウマとなり、素晴らしく感動し何度も聴きたい楽曲も、精神的に病んでいる時は聴かないようにする、という慎重さに拍車がかかってしまった。
5.真意は不明だが、多分、私を再び派遣市場に放つための戯れ言だった気もする。この話をすると100人中100人が????という顔をする。
6.2ヶ月で退園となる。
7.ちなみに9日残っていた。
8.おそらく、だが、facebookを本名で検索された時にこのブログに行き当たったか、メアドで検索してこのブログに行き当たったかだと思われる。
9.お陰で1ヶ月ブログを閉じることとなり、アクセス数はその間に6割減った。
10.総合的な判断をするのに1ヶ月もかかるんだ、こちらから何も言わなければどうなってたんだろ、まぁブログ書いてることがネックになったんだろな。
11.第2希望はなかなか面白そうな環境だったし、第3希望第4希望は育児との両立がそこそこ上手くいきそうだった。が、出張や休日出勤がある、給料も低い、と条件面で我慢を強いられそうな環境だった。
12.以降、娘は泣く時にこの時の私を見ていたからか、顔を両手で覆い、轟々と泣くようになった。
13.その間旦那が色々と家や子どものことをただ淡々としてくれたことにとても感謝している。
14.実際、第1希望の面接の時に、あなたは派遣社員の期間が長かったし…といったことを言われた。