誰が何と言おうと
たぶん
あなたが感じたことに間違いはない。
みなさま、いかがおすごしですか?
今日はとある講座の第2、第3回目の講義の日でした。
そこで出てきたのがこの言葉。
“世界は多岐的に解釈されている”
私は、小学生の頃、国語が大嫌いでした。
なぜか。
先生がどんな答えを正解として欲しているのかわからなかったから。
国語なんて答えのない世界なんだって大人になってからわかったんだけど。
人の数だけ解釈があっていいんだよね。
だからピンクの象は存在したっていいんだし。
好きな人は好きだし。
これが言えずに
ずいぶん自分を苦しめてきちゃったんだな、と思ったり思わなかったり。
皆、表現のための武器はすでに持っているのだ。
一般的に当たり障りのないことを提示すれば楽だから、その武器を使っていないだけなのだ。
ただ、
私は、あなたは、何を伝えたいのか。
私は、あなたは、誰にそれを伝えたいのか。
どうやったら届けたい人に届くのか。
少しだけ
ほんの少しだけだけど
見えたような気がした日でした。